後ろ向きな原動力

私は人間のもっとも大きな原動力は危機感である

と本で読んだことがある。

これは非常に後ろ向き、守備的な思想であることは否めない。

危機感とは自分の所持している物質的、精神的財産を失おうとしているときに起こる。

失うものの価値が大きければ大きいほど、必死になって守ろうとする。

価値の大きいもの、つまり大切なものは人それぞれ異なると思うが、ほぼすべての人間において守らなければならない、絶対死守しなければならないものが自己の生命であるといえる。

その次には、親類、社会的地位、財産、友人などをあげることができるかもしれない。

例えば、私が便秘になったことを想像してほしい。

便を出したくても出せない。

それが一日、二日ぐらいならまだいいだろう。

それが一週間続いたら生命の危険を感じるだろう。

滞った便によってこれから出るであろう便まで滞る悪循環。

これほど地味な恐怖はない、しかもこれには決定的な特効薬は存在しない。

仮に浣腸を使うとしよう。
そうすればその場に限り便は出すことはできるだろう。
だが、浣腸を使うとその刺激に慣れてしまい、通常の状態で便が出にくくなってしまうのだ。

まさに諸刃の剣。

そして私(仮)はネットで検索する「便秘」と。
そうすると検索に引っかかったサイトを片っ端から閲覧していくことにした。

そうして見つけてしまった!
この恐ろしいサイトを!
<グロ注意>
<グロ注意>
<グロ注意>

http://mito.cool.ne.jp/search2ch/doc/benpi.html

なんと便秘で死んだ人の画像である検死解剖である・・・

これが決定打となる。

生命の喪失の危機感がこれまでの中でもっとも大きかった。

さっき話したように危機感こそ最大の原動力、行動力。

早速、病院に行くことにする。

そして医者の診察。

「はい、ズボン脱いでねー」

トランクスもですか?

「もちろんだよー」

マジかよマジかマジかよ・・・

危機感には抗えずズボンとトランクスをずらす私(仮)。

「はい指入れるよー」

医者は指にローションのようなものを塗ると、指を・・・直接・・・

ズギューン

かきまわしかきまわしかきまわし

「あれーここまで便が来てないなー」

私(仮)はもう恥ずかしい通り越して、笑ってしまいそうになった。

それからレントゲン、献血をおこない、診察は終了した。

最後に薬をもらい、診察料を払おうとする私(仮)に看護士のお姉さんは言った。

「今度来るときは検便をこの容器に取ってきてねー」

屈辱である。


そうして一週間がたち、検便容器を持ち、診察に向かうと。

「調子はどう」

だいぶよくなりました。

「それじゃあこの前と同じ薬を出すねー」

診察終了。


・・・検便は?
恥を忍んで専用の容器に入れてきた検便は?

結局看護士のお姉さんも検便回収しなかった。

私(仮)は家に帰って検便容器を捨てた。

屈辱である。


それから毎日ランニングをするようになった。

今のところほぼ毎日走っている。


人間、やればできるのである。
このように危機感こそが人を恥だのインモラルだの、よく分からない縛りから開放し、がむしゃらに自分の今できることをさせようとするのだ。

それがマイナスにいくかプラスいくかは判らずとも。

・・・泣いていいですか?